オフショア☆~風を感じて駈けだしたことありませんか?~

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あの日 ~東日本大震災(東北地方大平洋沖地震)~




あの日から、もう11ヶ月経つんですね。
DCF00471.jpg

これまで東日本大震災の記事は詳しく書いていませんでした。
けど、決して忘れてはいけない体験だから、あの日撮った画像を添えて記事を書きたいと思います。

映画やフィクションじゃない。現実に起こったあの日のこと…


2011年3月11日 14時46分
勤務先でパソコンの作業をしていたときに、あの地震は発生しました。

「東北地方大平洋沖地震」

初めは上下に揺れ、そのあとに大きな横揺れ。
女性の多い職場なので、いっせいに悲鳴があがりました。

いつもなら、地震はほんの数秒でおさまるけど、揺れはおさまらず、初動よりも大きな揺れが感じられました。

「これはただ事ではない。」

咄嗟に自動ロックの入り口扉を開け、自席で様子をうかがっていました。

揺れはなかなかおさまらず、中には泣き出す女性も…

2階ですらこんなに揺れるんだから、上層階はもっと大変だろう。
どうしようか。
と考えていましたが、外に飛び出すのも危険だし、いちばん安全なのは事務所だと思い、結局はどうすることもせず、地震がおさまった後はどうするかを考えながら、揺れに身をまかせていました。

揺れがおさまって、取りあえずみんなの安全を確認。
窓から外を見ると、車は停車しており、人々はビルから出ていました。

停電はしていません。
また、大きな物の落下物もありません。
電話も通常通りに通じます。
データもとんでません。
机の上のものは乱れていましたが業務には支障はありませんでした。

その後、時間が経つにつれ、様々な情報を得られました。

余震は幾度も発生し、その度に携帯電話から”キュイキュイキュイ!”と緊急地震速報を知らせる音がけたたましかった。

初回の地震のときには、鳴らなかったけど、このサイレンはその後一ヶ月くらいは鳴っていたように思います。地震が来ることがわかっているから、とてもよかったと思います。でも心臓に悪い。。。(´Д`)

後日、アメリカから帰国した友人らと夕食をしていた際にも緊急地震速報が鳴り、その後地震が発生しました。
彼は、地震が来た際にみんなが落ち着いていたことと、地震予知(実際は地震発生連絡)にたいへん驚いていました。また日本の技術にも感心していました。


地震発生後は、会社の指示で業務終了。17時より帰宅可となりました。
勤務先は東京ですが、鉄道は全線STOP。
前の国道は既に車が渋滞しています。
インターネットのニュースでは、船に積まれるばかりの新車が、津波にのまれている映像や、千葉の化学工場が爆発する様子。そして鉄道の駅で混乱する人々が映しだされていました。

阪神大震災のときは、高速道路を運転する車の中でラジオから流れてくる情報に耳をかたむけていました。被害者の数がどんどん多くなっていくのが怖かったのを覚えています。

あのときは火災。今回は津波。

ふだんは思いもよらない突然の出来事。被害にあった人たちは自分とは比べ物にならないくらいの恐怖だったに違いありません。
そしてそれは今もなおまだ続いています。

みんなどんなに怖かっただろう…

課長がパソコンにTVの映像を流してくれたけど、SFじゃなく今、現実に起こっていること。本当に信じられないような映像ばかりです。

家に安否の確認。携帯電話は、docomoもauも不通の状態。ビルの一階に設置されている公衆電話から架けました。公衆電話用にとテレホンカードを持ち歩いており、とても役にたちました。
公衆電話は、他にも架ける人がいたため手みじかに。
家の方は心配いらないようです。

隣の席の職員は、ちょうど僕の自宅がある町に近く、徒歩では8時間くらいと話していました。彼は歩いて帰宅することを選択しました。
会社の計らいで女子には、宿泊も可能な大部屋が用意されました。

この日は金曜日で、翌日は休みなので家に帰りたいところですが、8時間で着くという根拠もないし、帰り道も確認していません。
僕はこの状況から、会社に留まる判断をしました。

状況を本社に報告し、自分の行動にうつりました。

まずは留まる準備。夕食と買い出しに外出です。

今後のことや地震のあった地域の人たちのことなど、いろんな思いが頭のなかをかけめぐりました。

外へ出るとコンビニの前にある公衆電話にはすごい列です。
DCF00468.jpg

国道は車で埋め尽くされ、帰宅のため?移動する人々が多く、車道まではみ出して歩いています。
あっちに行く人、こっちへ来る人。車道に停まった車の間をぬうように歩いています。
列は乱れず、話し声もなく、みんな黙々と整然と歩いています。
蟻が一列になって歩くようです。異様な光景でした。

勤務先ビルの玄関はすでに閉鎖され、夜間の出入口から入りました。

道路の向かいにある”立ち食いそば屋”で夕食を済ませました。
DCF00467.jpg



職場に戻ると、地下鉄が動き出したという情報が入りました。
咄嗟に「帰れる」と思い、今度は帰宅のルートを考え、準備に取りかかりました。
泊まる準備が整ったパートさんを送り、職員すべてが退出したのを確認して、本社へメールで連絡。夜10時に地下鉄の駅へ向かって歩きだしました。
DCF00469.jpg

本社の人たちもみんな泊まりだそうです。茨城方面の事務所は非常に大変な状況とのこと。

皆それぞれの立場でたいへんな思いをして職務をこなしてるんだな。

こんな日に限って、現場の責任者が休み。僕が頑張らないと!

責任者がいても現場をしきるのは自分だったように思うし、帰りは遅くなったけど、結果的に最善の選択ができたようです。

地下への階段はそれほど混んでいませんでした。電車もそれほど待たず。
しかし乗り換えの駅は、今まで体験したことがないほどの混み具合。
DCF00472.jpg

いつもなら数分でホームに着くところが、駅職員の入場制限もあって、1時間以上まったく動かない列。
動いても階段1段分。
いつもの階段⇒DCF00757_20120212110457.jpg


しかしたまたま並んだ階段がよくて、他より早くホームに着けました。


後で聞いたけど、ホームどころか、駅も入場制限をしていたそうです。
待ってるあいだは、携帯も電波がつながらず、不安で気がはやる思いでした。
しかし、こんなに待ったり混んだりしてるのに、誰も不平不満を言いません。割り込みもなく、これは日本人の良いところだと思います。
また、時間外で自分も帰りたいだろうに、駅員さんのご苦労は素晴らしいです。絶えず情報を流してくれたし!
こんな中、walkmanから流れてくる音楽ははやる気持ちを落ち着かせてくれます♪

すでに夜中の12時を回っていましたが、僕はまだホームにいました。
電車は20~30分に1回来るか来ないか。
せっかく来た電車でも、すでに満員の状態。
しかし、これも幸いなことに、この駅は山手線の駅に通じていて降りる人が多く、また並んでいる場所がエスカレーターの真ん前なので降りる人が結構います。

みんな早く乗りたいだろうに割り込みする人もない。
お互い様なのですね。


続く。
  1. 2012/02/12(日) 11:07:32 -
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